南比都佐小学校の校歌にも歌われている「ほまれの松」は、清田から深山口へ通じる県道とグリーンバイパスの交差点横の土手の上に、大きく古い松の木の姿を見せていました。しかし、昭和54年9月28日、松食い虫の被害のため切り倒されて、今は石碑が残されています。この「ほまれの松」には、美しい人情味あふれる話が伝えられています。
むかしむかしのこと、秋の終わりの夕暮れ時、深山口の野道をとぼとぼと年老いた人が歩いていました。やせこけてゴホンゴホンとせきをしながら、道ばたの草の上にへなへなと倒れてしまいました。
「どうしたんや、そんなとこへ寝こんでしまって・・・。そのままやったら、死んでしまうぜ。」
と、通りかかった一人の村人が声をかけてやりましたが、答えることもできないほど弱っていました。
「そうじゃ、庄屋さんとこへ行こう。庄屋さんは心の優しい仏様のような方じゃ。わしが頼んでやるから・・・。」
と、親切な村人は老人を抱きかかえながら連れて行きました。
庄屋さんのところでは、
「気兼ねなくいつまでも養生しなや。」
と、優しく迎えられ、
「薬を飲みな。」
「おかゆをすすりな。」
と、家族みんなから優しい介抱を受けましたが、弱り切った体と粗末な暮らしがたたって、
「故郷へ帰りたい、ひと目でよいから生まれた村を見たい・・・。」
と、泣きながら何回もお礼を言って息を引き取りました。
「かわいそうに、せめても手厚く葬ってやりましょう。」
と、庄屋さんと近所の人々によって土手の上に埋葬され、お墓の上に一本の松が植えられました。
やがて時は移り、その松の木はぐんぐんと大きくなり、人の目にとまるように成長しました。
明治35年にいくつもあった南比都佐村の小学校が一つの学校になり、この松の近くを整地して新しい学校が建てられました。
できあがった新しい小学校の開校式に、近くまで視察に来られていた当時の滋賀県知事さんがお越しになり、目についた大きな美しい松をご覧になりました。
「何か訳がありそうな松だが・・・。」
と知事さんが尋ねられると、役員さんは、
「この松にはこんな言い伝えがありまして・・・。」
と古くから伝えられているこの松の伝説を話しました。知事さんはたいそう感動され、
「村人のほまれの高い記念の松なのですね。」
と言って、「ほまれの松」と命名されました。それからは、この松を南比都佐村の誇りとして「ほまれの松」と呼ぶようになり、この村のシンボルになりました。